れ の ん 亭 日 乗 その壱

或いは、What's New な日誌:1995年秋から1999年6月まで


  • 1999/06/14:この大不況の中にあって空前の増収増益に沸き返るサラ金会社に高額所得の上位に位置するサラ金経営者とその一族。はたまた、、、今や常態化しつつある金融機関の破たん。判で押したようにお決まりの不正融資に過剰融資。債務超過隠蔽の裏テクニック。国民の貴重な税金からねん出した資金をだまし搾るとは極悪非道の確信的経済犯罪ここに極まれり。バブル崩壊して幾年月、今こそ「必殺仕置き人」の登場を切に願うものである。んーーーっ!? いないって? だったらオレがなってやろうじゃないか、法律で完全武装した「夜逃げ屋本舗」&「必殺仕置き人」に!! 酒を喰らっていないまだ日の高い夕刻、なぜかいきり立つボクであった、、、。
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  • 1999/06/09:多重債務に苦しむ人は、自己破産すればすべて解決するのか。言うまでもなくNoである。破産宣告しても、あの手この手で迫り来る債鬼。家族の問題。 妻は、子供は、親兄弟は、連帯保証してくれた無二の親友たちは、住まいは、仕事は、同僚達の冷たい視線は、今後の生活費は、、。 しかし、もう一度、人生をやり直さなくてはいけないのである。子供のため、妻のため、そして自分自身のために。 そう、ボクは、行政書士として単なる「代書屋」稼業で、いろんな「申立書」とか「陳述書」とか「通知書」とかを自力で書き上げることが困難な人たちの書式作成の「お手伝い」をするだけで満足してはいけないと考える。
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  • 1999/06/07:「夜逃げ屋本舗」と言う映画が在って、テレビドラマにもなったらしい。しかし、ボクは全くこれっぽっちも観たことはなかった。たかが「ドラマ」じゃないか、、、、。実のところ、そんな具合にせせら考えていたフシすらあった、、、、、、。 で、こないだの日曜日、久しぶりに本屋でも覗いてあれこれ興味のおもむくままに立ち読みしていたら、ふとなにげに手にしたくだんの「夜逃げ屋本舗」の解説本が、インスピレーションの発生源となったのである。 
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  • 1999/06/04:福岡県行政書士会の理事に選任され、広報部長に就任することになった。年4回発行の「行政書士ふくおか」と言う冊子の編集がメインの仕事となるが、福岡県行政書士会のホームページを手掛けたいと考える。しかし、、、、、、新事務所を立ち上げたばかりだとゆうのに、大丈夫かな、、、、、。
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  • 1999/05/31:事務所を開設して2ヶ月が経った。事務所中心の生活習慣。早寝早起き、と言っても夜は12時前後に寝床に入り、朝は7時半に起床なんで、都心に通うサラリーマンの方々から見れば憤飯モノの早寝早起きなんですが、生まれてこのかたずーーっと夜型の生活、夜中12時過ぎると頭がスーーッと冴え渡ってきて、寝るのが勿体無くてあげく睡眠3、4時間で苦痛の寝起き、いつもけだるい感じのお昼過ぎって状態だったのが、いやはや随分と健康的になったもんです。
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  • 1999/05/19:いろいろ修正の末、本日より手を加えた内容の広告を、6月いっぱいまで毎週1回、讀賣新聞の朝刊に掲載することにした。しかし、さまざまな問い合わせがあるんだなぁ。毎日毎日、お客さんから宿題を貰っているようなものである。日々、勉強! この借金債務問題について、更には自己破産について、弁護士よりも精通した真のプロフェッショナルになろう! 誓いも新たな一日である。 
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  • 1999/05/13:うーーん、念願のヒット! 電話での問い合わせが、殺到!ってウソだが、手応えを感じた。継続とは力なり、広告掲載の先達もおっしゃっていたけど、まぁ、1年ほど辛抱強く続けることが肝要だそうで、そこまで資金が持つかどうか心配だけど、この路線でしばらく行くことに決めた。
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  • 1999/05/12:今度の事務所で手掛けたい(そう、あくまでも希望なのだが、、)メインの業務は、借金債務問題、いやズバリ言ってしまおう、つまり自己破産の問題である。その理由はさて置きこの自己破産の問題は、ボクにとってのライフワークとも言うべきテーマである。そこでもっと明解なかたちで最適な場所に、そう讀賣新聞に広告を打つことにした。結果はいかに。
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  • 1999/05/06:念願の事務所開設と事務所の存在を世間に知らしめるための新聞広告連続掲載。しかし、効果のほどは芳しくない、、、、、、。やっぱり、小さいスペースにいろんな文言を詰め込み過ぎて、パッと見てパッと判るレイアウトじゃない、つまり訴求力に欠けていたんだな、やっぱり、、、、、。と、納得し気分を切り替え、更には新聞各紙のリサーチを敢行。うーーーん、やっぱ、朝日より讀賣じゃないのコレ、サラ金の宣伝がまるでスポーツ新聞並みの派手さでテンコ盛りなのは。
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  • 1999/05/02:広告掲載と同時に、顧客予定者からではなく、広告会社の営業からの電話とかアポ無しの来訪とかが多発。こっちも慣れていないせいか某社の泣きに近い懇願じみた攻勢に屈して5月2日付の朝日新聞朝刊に第2弾の広告を掲載することに、、、、、、。 
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  • 1999/04/29:ところで、この4月1日付ですが、小倉の裁判所の近くに新事務所を立ち上げていたのです。行政書士専業の事務所です。で、本日、「リビング北九州」と言う無料配付の地域情報紙に広告を載せました。カラーで裏表紙の一番目立つはずであったのだが、効果のほうはいまいちであった。内容的に小さなスペースにいろいろ主張し過ぎた自己満足的なものであったのかも。
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  • 1999/04/17、その3:だけどB型なボクは、済んでしまったことはしゃーないと、すぐに諦めてしまった。ぼやぼやしてる無駄は、今は許されない。
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  • 1999/04/17、その2:しかし、、、、苦労して設定したあのIIsiのNetBSDで構築したファイルサーバが消滅してしまった。 原因は、ジャンクなMacのハードディスクをいろいろ交換したりしているうちにIIsiのファイルサーバが入っていた外付けHDをIIsiに内蔵しようとしてHD本体のディップスイッチを差し換えたりしていじっていたらいきなりクラッシュ!!
  • ハードディスクのクラッシュなんてハナシには聞いていたがパソコン歴14年間、まるで遭遇したことなどなく俺様にはカンケー無いコトだと油断していたそのツケが一気にやって来たんだろうか。バックアップなんて取って無かったのも迂闊、、、その損失の甚大さに、しばし呆然と立ち尽くすのみ、、、、、。
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  • 1999/04/17:とかなんとか言っているうちに4月である。あれから、、、、つまり下記1月22日書き込みからいろいろありました。
  • 2月には、MacWorld-Expoにスティーブ・ジョブズ会いたい一心で、すべてを投げ打ってはるばる九州から千葉幕張メッセまで出かけました。ついでに秋葉原を3日間徹底的に探訪貫徹、PowerMac6100/60とPowerBook540cをゲット。
  • 3月は、自宅事務所を脱皮し路面に行政書士の新事務所を構える準備をやりながらも、IIciとCuadra950の超美麗品を格安でゲット。で翌週にはジャンクなPM7100/80AVとCentris650を入手。自宅事務所の仕事場は足の踏み場も無いアキバ・ジャンクショップ状態に突入。所有Macは1ヶ月足らずで一気に2倍の12台になってしまった。
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  • 1999/01/22:あれれ、、、、あっと云う間に1ヶ月以上経過してしまった。年末年始のドサクサで、と云うかいつもの飽きっぽい根性が、ホームページから遠ざけてしまった。
  • でも、「思い出し映画ノート」と「a day in my life」なる新コーナー(と云っても昔の個人ホームページからの移行版である。)を加えたのは年末だったけど、、、、。
  • このホームページは、基本的には「営業用」であるが、業務「的」ホームページのどーでもよい堅苦しさを打ち破って、情報発信者であるこのわたくしめの「顔」とかが見えてくるような営業用ホームページにしたいのである、、、、、。ま、今年も気ィ張らずにボチボチ行くことにしましょう。
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  • 1998/12/17:その後、SAMBAとNetatalkの設定で、MacとWinからアクセス可能なディレクトリを共通にして読み書き可能にしたら、いやーやっぱ便利このうえない。ちなみにこのホームページは、MacでClaris HomePageを使っているが、ファイル転送は、WinマシンからWS_FTPと云う優れた転送アプリを利用している。(余談だがこのソフト、とてもMac的です。)いままでは、Mac-Win間のファイル移動はフロッピーディスクを使っていたが、今じゃ、ファイルサーバ経由で簡単に済む。私のようなMac好きのPC使いには、堪えられません、、、。
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  • 1998/12/14:これまたパーミッションの問題で、マウントするディレクトリの設定を認識しなかったが、これも解決。パーミッションという概念は、MacにもWindowsにも無いだけに、サーバ管理の基本として把握してなくっちゃ、、、、。こういう面でUNIXってネットワークサーバとしてしっかり出来てるんだなと、妙に感心、、、。なんか少し前が拓けてきたような気分。
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  • 1998/12/13:もうアカン、、、と観念して、いや、もう一度だけやってみようと、挫折しかかった時の踏ん張りが転機をもたらす。「答え」は、簡単なところに転がっていたのだった。パーミッションでんがな、パーミッション。そう、ファイル属性の指定のやり方が間違っていたのだった。しかし、高い金出して揃えた参考書籍のすべてについて、このことを明確に書いていたのが無いってのはどう云うことだ!! で、NetatalkでMacのファイルサーバ構築と云うかフリーUNIXマシンのAppleShareサーバ化とりあえず成功の証拠画像がこちらです。これで5000円のMacintosh II si がWindowsとMacの共通のファイルサーバとして立ち上がったことになる。
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  • 1998/12/12:MacのNetBSDでダメなら、PCでのフリーUNIXでならどうなんだろう。と云うことでもうひとつのフリーUNIXトライアルマシンである自作DX4マシンにSlackwareをインストールして今度はこちらでNetatalkにチャレンジ。しかし、、、、netatalkのデーモンは立ち上がらなかった、、、、、、。
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  • 1998/12/11:SAMBAの次ぎはNetatalk!  しかし、、、本の通りにやってみてもダメなのである。実は、Netatalkは、NetBSDをインストールして直ぐにトライしておったのであるが、、、、、。関連書籍は、5册くらい読破したのであるが、、、、。なぜなぜなの。
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  • 1998/12/08:遂に5000円のMacintosh II si のNetBSDで、windows95マシンのファイルサーバ構築成功! そうですSAMBAです。証拠画像はコレ。4ポートHUB内蔵のルータに3台のPCを接続し、残った1ポートからストレートケーブルでカスケード接続したもう1台のHUBにMac2台を接続。そのうちの1台が、遂にネットワークサーバに変貌を遂げた5000円のMacintosh II si なのであります。いやー感激。
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  • 1998/12/05:やはりフリーUNIX導入の最初の壁は、果たしてインストールに成功するかどうかと云うことである。MacやWindowsがあらかじめ存在する環境の世界に安住しているかたがたには、にわかに信じ難たいハナシなのであるが、この最初のステップは、初めてフリーUNIXに関わろうとする者に、立ちはだかる大いなる関門なのだ。で、インターネットマガジン1月号にRedHatLinux5.2が添付されていたので、TwoTop-P200マシンにインストール。すんなりインストール出来たので、調子にのってサーバマシンにしたい自作DX4マシンにインストールするもダメ。ならばPCにもFreeBSDをインストールしてみるかとトライするが、ダメ。あれこれ苦難の果てにやっとSlackwareに落ち着く。そもそもこの自作DX4マシンには、RedHatLinux4.2をPJEで日本語環境にしたのが安定稼動していたのに、、、、。
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  • 1998/12/04:気がついたらもう12月も四日目、、、、、。一体、私は、なにをしておったんだろう、、、、。仕事は?年越しの銭稼ぎは?、、、、、しかし、今日も II si にインストールした NetBSD で遊んでしまった、、、、。ええっと、このホームページの更新ですが、ほんの少しだけ、、、、。
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  • 1998/11/29:コンテンツだけアップロードしておいて更新もままならぬ、、、、コレって信用落とすだけなんでしょうか、、、、。しかし、、、II si で遊びたい、、、、。
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  • 1998/11/26Macintosh II si と言う化石マシンを知り合いの会社の放出品からゲット。しかし、キーボード&マウスに加えてあのradius社製の縦横可変のモノクロディスプレィのセットで計5000円也。しかもメモリー17Mに10base-Tのネットワークカード内蔵!一度骨になるまで分解してお掃除、再度組み立て動作OK。これにフリーUNIXのNetBSDをインストールして遊んでいます。コレでサーバ構築できたら儲けモンでっせ。
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  • 1998/11/25:いろいろ細部の調整、コンテンツは出来たが、生来の怠け癖、、、、、すこしほったりぱなしであったが、「私が知っているWindowsについての2、3の事柄」を1件だけ書き込んだ。まぁ、所有パソコンのデスクトップ画面入れてますので、参考にしていただけたらうれしいです、、、、。嗚呼、自己満足、自己満足、、、所詮ホームページ造りって自己満足だよなぁ、、、、。
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  • 1998/11/23しかし、今までの業務用ホームページってホント、糞の役にも立たず、面白くない。なんか本音の部分とか、告白じみたのがないとやっぱりイケない。そんな反省に楽しみながら創る、、、。まだ、未完成だけど、基本的コンテンツは完成したので、とりあえずアップロードしてみよう。
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  • 1998/11/22:再びMacを得た時、活路が開けた。Claris Home Page !! 慣れるとコレが使いやすいんだな。これで更新はエディタ感覚で入力可能だと決意し、業務用ホームページの全面的なリニューアルに取り掛かる。タグの手打ちって結構、文法的間違いを見逃してしまうんだな、、、、。今までのやつを全部、読み込んでやり直しました。
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  • 1998年中頃:インターネット環境の急激な一般社会的認知になんとかしたいと思えども、実行力ともなわず、、、、。
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  • 1997年ごろ:思い出したかのように手直し程度の更新、1、2回。
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  • 1996/03/21:業務用ホームページ開設:以後更新ほとんど無し。
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  • 1995/秋:個人的ホームページ開設。ハイパーテキストのタグの説明書と格闘しながら普通のエディタでこつこつと、、、、。開設するのにエネルギーを消費し過ぎてその後、やりっぱなし。


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