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仁義なき戦い 広島死闘編1973年の5月だったと記憶している。姫路に来て3年目の初夏であった。映画同好会 のメンバーたちと明け方まで飲み明かして下宿まで帰り着き、ほんのひと眠りしてから、 電車に飛び乗り大阪は天王寺まで出かけた。天王寺公園の野外ステージでの2日間、「春 一番コンサート」がその目的だった。 その頃はもう、日本語のフォークソングは、メディアに取り込まれてニューミュージックなるものへと解体しつつあったが、ギターを手にした吟遊詩人達は依然として存在していたし、 日本語のロックは、まだマイナーであった。世の中すべてに反抗する若者たちのひとりでいたかった僕は、アナーキーな連帯感を求めてそんな手作りのコンサートによく出かけた。 オイルショックの直前であったが、近くの西成の住人が、仕事にあぶれたのか公園の木 陰で昼寝をしているのだが、それもひとりふたりなどではなくて、かなりの人数であった。 おまけに会場の中にまぎれこんできて、かわいい僕好みの女性が食べていたスナック菓子に手を差し出して譲り受けるおっさんなんかもいて、それで、僕は、大阪と天王寺と西成 を実感したのだった。 まだ無名の上田正樹が懸命にシャウトしていた。高田渡がホーンセクションをバックにスタンダートナンバーの「私の青空」を歌ったのが最高に良かった。今、記憶に残るのはそれくらいである。 晩飯は、通天閣真下のジャンジャン横丁の一角で喰らったのだか本当に安かった。それから、あたりをぶらついていると、叩き売りの口上のすぐ近くで、「おのれがそないゆう たんやないかっ!」とかなんとかパーンとわめくのを目の当たりにするや、生活やつれの30代後半とおぼしきおばはんがよよと路面に泣き崩れてへたりこみ、そばには鬼面のおやじ突っ起ちてその足元には、おばはんのサンダルがころりと転がっていたのだった。 松竹新喜劇的と言うには、あまりにも生活感がリアルでブルージィな情景に遭遇して、 ふたたび僕は、大阪を実感したのだった。 さて、コンサートはまだ1日目なのである。あしたもここにやってこなければいけない。 そこで梅田まで引き返し土曜のオールナイト興行に潜り込んだのである。 あの頃は、趣味と実益を調和させて、土曜の夜の映画館を定宿にしていたのである。 その時、観たのが「仁義なき戦い」の第2作である「広島死闘篇」であった。幸運にもその日は、封切り日であった。第1作目は観ていなかったが、かなりの評判だったので、躊 躇せずに、ほとんど予備知識なしにこの映画と対面することになった。 テレビ、新聞、雑 誌などのメディアによって新作映画の紹介が氾濫する昨今、映画のあらすじを既に把握させられてしまって観てしまう場合が多くて、個々の映画を予断と偏見抜きに白紙の状態か らありのままを観賞できない。しかし、僕が若かった時分、のべつまくなしに映画館に飛び込んでいた頃、まったく未知ではあるけれどとても上出来の作品に出会うことが、たまに在った。それらは、今でも色あせることはない。たとえば、スピルバーグの「激突!」、ディック・リチャーズの「男の出発」、渡辺護監督のピンク映画「性宴乱舞」などである。 映画館にまったく足を運ばなくなった現在、テレビの深夜放送の映画がそんな思わぬ拾 い物の収穫場所となった。特に吹き替えなしの字幕放送で放映される作品に優れたものが 多い。最近では、官能の日々の残酷な結末を描いた「牧師の妻」とか、モンティパイソン 流のブラックジョークの毒気をより強烈にしたみたいな「大惨事世界大戦」などが特筆もので、午後12時以降のテレビ番組欄は、映画ファンには要チェックなのである。 ところで、「広島死闘篇」なのであるが、予備知識なしの白紙状態で観ることができたこともあり、強烈なインパクトを受け、僕にとっては、それまでに観た日本映画のベストと言ってもよい内容であった。あれから20年以上経ってしまったが、「広島死闘篇」を超 える日本映画にはついぞ出会っていない。(鈴木清順の「けんかえれじい」は別格であるが。) 以後「仁義なき戦い」シリーズは、全作品を繰り返し観ることになるが、「広島死闘篇」とそれ以外のシリーズ作品は様相を異にしている。「仁義なき戦い」シリーズは、基本的には、菅原文太の広能組長を狂言回し役に仕立てた壮大な集団劇であり、日本の戦後史の側面 を正確に描写したものであった。しかし「広島死闘篇」は、群衆劇がメインではなくて、戦 後の混乱期を生き延びることなく死んでゆく、ひとりの若者の物語となっている。 北大路欣也扮する山中は、工員であったが、終戦後のあらゆる価値観が崩壊し変転してゆくなかで、そのアナーキーな鬱屈した心情を、外に向かって、いつしか「暴力」として爆発させる。そして服役。 出所後、広島の村岡組の盃を受けてからは、呉と広島を舞台にした抗争の中で、だんだん男をあげてゆくのだが、ある日、ひとりの女性に惚れてしまった。村岡組長の姪であり戦争未亡人の靖子(梶芽衣子)である。その純真の中から、軍国少年のまま実戦に参加することなく終戦を迎えた、言わば遅れてきた青年であった山中の想いが見えてくる。 しかし、陰謀と裏切りが織りなす泥沼に、いつしか山中も翻弄されてしまう。鉄砲玉として殺戮を繰り返しながらも、遂に逮捕され、再度服役するが、服役中の同類から陰謀の正体を教えられ、彼は絶望する。靖子に会いたい気持ちも押さえきれない。そして彼は、彼の現在を総括するために脱獄するのだ。 だが、またしても巧みに取りなされてしまう。いつまでもどこまでも疑うことなく純粋な山中なのである。 警察から射殺命令が発動され、全市厳戒体制の中、雨が降りしきる広島の路地裏を、拳銃 片手にあてどなく彷徨する山中。映画は、手持ちカメラによる臨場感を演出しつつ、息詰まる緊迫感を強いる。日本映画史に記憶されるべき名シーンである。 いつしか、空家の土間に上がり込み、ひとり暗やみのなか、過ぎ来たりし日々を悔恨と無 念のうちに噛みしめる。やがて銃口に灰を詰め、自らの口元に喰わえ込み、引き金に手をかけ、自死して果てる。 葬儀は盛大に取りおこなわれ、山中のような若者たちの累々たる屍の上で、組織は拡大し、その必然として抗争を幾度も繰り返してゆくのだった。 山中のイメージは、その後、同じく深作欣二監督により「仁義の墓場」(主演:渡哲也) で再現されるが、そこには山中の一途な純情は存在せず、破滅と退廃が主旋律となっていた。 強烈な映像に、一睡も出来ないまま再び天王寺公園の野外ステージに向かったのであったが、その入り口の行列にて、東京からひとりで来たと言う野郎が、なぜか慣れ慣れしく話しかけてきたのだけれど、そのいかにもと云った東京言葉のおしゃべりが、薄っぺらなどーで もよさでうんざりしてしまった。大阪天王寺に東京言葉は、まったく似合わない。 2日目のライブは、観客のノリとは裏腹に、たそがれのイメージで充満し、僕は、孤独な気持ちに支配されていた。自分の内面とは違う方向に、時代も音楽も変わりつつあるのを、 察知してしまったんだと思う。 あの時、暮れゆく夕闇のなかで僕は、山中のことばかり想念していたはずだ、たぶん、、、。 |
私が、まだ若い頃、映画がたまらなく好きで、こづかいは、映画館の暗闇に浮かび上がるスクリーンへと、その大半が吸い込まれてしまったのですが、若い時分に観た映画と言うものは、その感銘と共に鮮明な記憶として刻印されるもので、なにかの拍子に、たとえば、ぼんやりと窓の外側の世界を眺めている時などにサーッと甦えってきて、素直に手当たり次第に何もかもに感動していたあの頃の自分とは、既に遠く隔たってしまった今の自分とが交錯して、そこはかとなくうら悲しくもあり、とにかくも映画は、佳きものなのであります。 そんな訳で、おじさんになってしまってすでに久しい私自身の映画体験から独断と偏見により、「愛」について考えさせられた一編を、ピックアップしてみようと試みた次第です。今回取り上げる作品は、フランソワ・トリュフォー監督のフランス映画「アデルの恋の物語」です。 主演は、当時まだ20才のイザベル・アジャーニ。19世紀中頃のフランスでの、実話に基づいたお話です。 文豪ビクトル・ユーゴーの娘アデルは、ある仏軍将校に恋をします。初恋でした。 しかし男はつれないのです。つれなくされると、つれないほどに、更に更に募りゆく恋心であるのは、私にはよく理解できます。 初恋と言うものは、おおむね片想いであり、成就されない分、ただひたすら心の中で純粋培養され、いつしか美しい思い出として刻印されてしまうものです。 しかしアデルは、あきらめない。ひたすらひたむきに将校を追いかけるのです。 当時のフランスには植民地があり、仏軍将校である初恋の彼は、世界の各地に赴任するのですが、アデルは、執念で追うのです。 「恋」に取り憑かれ、異境の果てへと男を追いかけてゆくうちに、いつしか「想い」は「情念」となり、アデルの内だけで、すさまじいほどに純粋化してゆきます。 そして遂に彼女は、心のバランスを失ってしまうのです。 いや、あらゆる邪念をすべて捨て去り、ただ初恋の彼を愛すること、そのただ一点においてのみ思考し、生きる地点に到達したと云うべきでしょうか。 ボロボロになってしまった衣服をまとい、異境の地の街頭を虚ろな目をして裸足のまま、初恋の彼を追い求めてさまよい歩くアデル。 偶然にも、そう、映画的偶然とでも云いましょうか、くだんの彼が彼女を見つけ、思わず詰め寄ります。 おお、アデル、、、こんなになってしまって、なんてことを、、、、、、。 男には悔恨の念がどっと押し寄せて来たのかもしれません。 しかしアデルには、現実の彼の姿は、もう、見えないのです。 彼の名前をただつぶやきながら遠くを見つめ、アデルに取りすがろうとするその彼の目前をゆっくりと、立ち去ってゆく彼女をとらえて、この映画は終わります。 純粋に人を(異性を)愛することとは、何か。若い時分ほどではありませんが、今でも時々、考えることがあります。そんな時、いつも思い出すのがこの映画です。 アデルは、現実を突き抜けてまで、片想いに殉じてしまいましたが、彼女ほどではなくとも、ほのかに想いを寄せる恋心、つまり片想いと云うものは、少なくともその当初においては、初々しくも純粋なんだなと思います。 それが初恋ならば、なおいっそうのことでしょう。 追記: 記憶と云うのは、片想いに似て、いつしか時間の経過とともに真実とは違う色合いに描き換えられるようです。 この一文を書き終えたあとに、この映画のシナリオを改めて読み直してみると、また違った印象なのであります。 その分、私自身の思い入れが在るのでしょうか、、、、。 |
土曜の夜,仕事の後,家に帰らずに映画館に直行した。 スタンリー・キュブリックの7年ぶりの新作「フル・メタル・ジャケット」の先行オールナイト上映があるからである。 映画にも鮮度がある。 映画は,映画として,映画そのものを純粋に賞味しなければいけない。 メディアより垂れ流される『解説』やら『批評』にさんざん毒され,なんとなくもう観てしまった気分で,すでに知ってしまったストーリーを映像で後追いする愚を犯してはいけない。 キュブリックの新作であること,ベトナム戦争の映画であるらしいこと。これだけわかれば充分だ。もうあとは必要ない。 この映画について次々にたち現われる情報からことごとく目を反らし,ひたすら公開を待ったのだった。 陽気なカントリー・ソングが流れる。 映画が始まったのだった。 外界から隔絶された暗やみの中で体験する未知の世界。 闇の空間から抜け出して現実に戻っても,私はそれ以前の私ではもう,ない。 だから,すべての知覚を全開にして受け止めよう。 次々に頭髪を坊主頭に刈りとられる若者たち。 入隊のための割礼の儀式。 海兵隊へようこそ。 ありとあらゆる侮辱語をまくしたてる強烈な教官がいる。 性と排せつ物についての思い切り下品な言い回しがそのすべてである。 全否定される自我。 しかし,徐々に適応してゆく若者たち。 要領の悪い「デブ」=「ふとっちょ」がいる。 動作のことごとくがあの教官にヤリ玉にあげられる。しまいには彼の不始末が彼自身ではなく,彼以外の全員に対して罰として課せられる。 夜,全員から受けるリンチ。 閉じられた空間内での人間疎外は,「ふとっちょ」をまるで『シャイニング』でのジャック・ニコルスンみたいな目付きに変えてしまった。 小銃に向かってブツブツつぶやく独りごと。 劇中において,『フル・メタル・ジャケット』と言う言葉がたった一回だけ放たれ,説明される。 訓練期間卒業の夜,トイレのなか,便座に腰掛け,ひとり小銃をいじる「ふとっちょ」が,当番(そういやコイツが主人公だったっけ)に発見され,実弾を込める手元を,なんだそれはと問われて,日く『貫通弾装(フルメタルジャケット)さ、、。』 騒ぎを聞きつけやって来た教官を撃ち抜き,自ら銃口を喰わえ頭をブチ抜く「ふとっちょ」。 限度を超えた人間疎外の当然の帰結だ。 ナンシー・シナトラの66年頃のヒット曲『憎いあなた』が流れて舞台はいきなりベトナムになる。 海兵隊の新聞『スターズ・アンド・ストライプス』の従軍記者として御当地にいる主人公。 プレハブの編集室の正面には,スヌーピーと『First to Go,Last to Know』(うまく訳せないけどなんとなくワカるでしょ。)と大書された赤い横断幕。 そしてすぐテト攻勢。つまり1968年の1月ということだ。 戦闘シーンはあっさりしている。すなわちスペクタクルではない。 飛び交うヘリコプター。幾多のベトナム映画と異なり,イロコイスではなくてシコルスキーの古い型のもの一種類だけである。 映画の本質とは関係ないが,ちょっと物足りない思いは,私だけだろうか。 私には,キュブリック信者としての修行がまだ足りないのかもしれない。 サム・ザ・シャム&ファラオズの65年の大ヒット,『ウーリー・ブリ』にかぶさって前線で小休止するくたびれ果てた兵隊たち。 なんでもかんでもFUCKを接頭詞に持ってくるのは,いかにもってカンジだな。 そしてあからさまな黒人差別。 最後の戦闘シーンは,言わばベトナム戦争の本質を簡潔かつ的確に表現している。 米軍の乱れた指揮系統。 見えない敵に向かって一斉にめくら撃ちしてしまう恐怖心。 着実にひとりひとり狙い撃ちする解放軍兵士。 たったひとりの狙撃兵にきりきり舞いする小隊。 まだ子供でしかも女性のその狙撃兵を撃って自慢し,はしゃぎ回る小心な奴。 瀕死の彼女をなんとかしてあげねばと思いつつ,とどめの一発を撃つ主人公。 戦火が夜空を焦がすなか,ミッキー・マウスのテーマを皆で合唱しながら進軍するうちに映画は終わる。 そして,黒地に白文字でキャスト&スタッフが延々と続く。 バックの曲は,ストーンズの『黒くぬれ』だ。 まだこの映画の感想を整理しきれないままに,ふと思った。 日本でベトナム戦争の映画を作るとしたら、 テーマ曲は、ジャックスの『からっぽの世界』に決まりだな、って。
注釈:この一文は、私の記憶では、1987年頃に、当時愛用のPC8801mkIIでJET8801Aと言う上出来のワープロソフトを使って書いたものです。 |
その昔、もう17,8年も前になるでしょうか「オカルト映画ブーム」と云うものがありました。「エクソシスト」や「オーメン」を筆頭に、やたらおどろおどろしくて「悪魔の、、」で始まるタイトルの作品が、次々と公開されたものでした。 超能力少女の悲劇的結末の物語「キャリー」(ブライアン・デ・パルマ監督1976年)も、その「オカルト映画」の流れの中で一般的に解釈されがちですが、そうではありません。内向的な少女が、異性への愛に目覚めることによって、「社会」に順応あるいは適合していこうと努力してゆく過程の果てに噛みしめる「疎外感」と「絶望」とを、極限的に描き出してみせた映画なのです。 アメリカの典型的な地方都市のハイスクールを舞台にして、この物語の前半は、学園でのエピソードの積み重ねを主体に、なかなかに小気味良く展開します。私は「アメリカン・グラフィティ」を思い出してしまいました。しかしながら、物語の主旋律である暗い部分もまた、同時進行してゆきます。 母親と二人暮らしの高校生キャリーは、いつも伏し目がちで、女性的 ないわゆる「色気」と云ったものと全く無縁で、おまけに無口で内向的な性格の為か「いじめ」の対象者として、クラス中の標的にされていました。その上、偏執狂的な倫理観に凝り固まった母親からは、たった一度の過ちから生まれた不実の子であるとしてことあるごとに、ののしられ忌み嫌われていたのです。 未成年者が、社会生活を送る上での主要な基盤である「学校」と「家庭」の両方から疎外され続けるのは、実に辛いことです。人から嫌われた記憶ばかりが多くてもどかしい私には、キャリーの境遇は他人ごとではなく、すこしずつ感情移入しながら、いつしかキャリーに自己同化してしまいました。 また、「いじめ」について語るならば、上昇志向が支配的な社会において、人間がより良き自己を確認し続ける為には、常に「弱者」=「自分より目下の者」を求める、と云うのがもっとも簡単で身近な方法なのですが、それは我が日本だけの事情ではけっして無く、アメリカのハイスクールでも同様と言う訳です。 しかしキャリーには、不思議な力が備わっていました。テレキネシス=念力によって物体を意のままに動かす超能力がそれです。初めのうちは彼女自身にも訳がわからない有様であったのですが、次第に「力」に目覚めてゆきます。 いや、他者に対する憎悪と絶望がその未知の力を補強し、顕在化させたと云うべきでしょうか。 キャリーに対するいじめは、当初においては単なるからかい程度であったのが、段々と手の込んだ悪質なものにエスカレートしてゆきます。恒例のダンスパーティが、高校の体育館であるのですが、そこでは人気投票がおこなわれて、一番得票を集めた人気者がパーティ・クイーンとして皆の壇上で脚光を浴び、賞賛されるのです。 あろうことか悪ガキたちは、示し合わせた八百長でキャリーをパーティ・クイーンにしてしまい、そこで或るとどめの仕掛けをたくらんで、彼女に大恥をかかせて、更に更に彼女をみんなの笑いものにしようと云うのです。 こうして、ラストのクライマックスへの伏線は、キャリーへの感情移入をいよいよ強固なものにしながら、着々と張りめぐらされてゆきます。 さて、ダンス・パーティは、ステディなカップルには楽しい行事なのですが、異性にもまったく相手にされない彼女には、無縁のことです。しかし、日頃の反省をちょっぴり込めて、キャリーに同情的なクラスメイトのひとりが、自分の彼氏に、今度のパーティには自分は行かないからキャリーを誘ってあげてと説得します。くだんの彼氏は、あまり気乗りしないのですが、やむなく了承してキャリーを誘います。 ハンサムな男性からダンスパーティのパートナーを申し込まれると云う、今まで経験したことがない事態に、彼女は戸惑いを隠しきれないのですが、ほのかな恋心の予感にこころときめくのは、当然の事でしょう。暗かった彼女の表情も、なにかしら、いじらしく解きほぐれてくるように見えてくるのです。 キャリーに扮するシシー・スペイセクと云う女優は、本当に上手い役者さんでして、存在感の希薄な少し暗いめで全く美人ではない少女を、実にリアルに演じながら、次第に春めいた色香をそよぎ出すさまを絶妙に表現してゆきます。 パーティの当日となりました。くだんの彼がキャリーの自宅に迎えに来ます。母親は、パーティに行くことを猛烈に反対するのですが、例の「力」で、ねじ伏せられてしまいます。 会場では、彼女をいたぶる為の最悪の仕掛が準備されつつあります。ブタの血がいっぱいに入ったバケツを天井に吊して、パーティ・クイーンとして壇上に立つ彼女に、その血を頭から浴びせかけるのです。 なんにも知らないキャリーは、ときめきの中で美しく輝き始めます。まるで、夢と希望が内面から女性を美しく変身させることを証明するかのようです。そして、悪巧みの筋書きどうりに彼女は、パーティ・クイーンに選定されて壇上に立ち王冠を捧げられ「祝福」されるのです。 信じられない表情は、いつしか喜びに満ちあふれ、今まで見せたことの無かった笑みをたたえて、まごうことなき美女へと変身してゆきます。余談ではありますが、私が映画館にてこの映画を観た時ですが、この シーンのあたりでは、館内の若い女性客のすすり泣きの声があちこちから聞こえてきたのでした。皆にいじめられ精彩に欠ける娘が、次第に美しく変身してゆくさまが、彼女たちの琴線に触れたのでしょうか。もちろん私も、キャリーが美しく変貌するさまに、口をぽっかり開けて見とれていたのですが、、、、。 物語もここで終わるならば、現代版シンデレラ物語か、みにくいアヒルの子が実は美しい白鳥であったと云う、例の寓話のパターンとなったことでしょう。しかし、観客の誰もがキャリーってホントは、こんなにきれいだったんだなぁと感じたその直後から、悲劇的クライマックスへと一気に突き進むのです。今までの人生の中で最高の喜びに包まれて美しく輝くキャリーに、突然、おぞましくも仕掛けられたブタの血が浴びせかけられます。頭からつま先までせっかくのドレスもろとも、血でずぶ濡れになってしまうのです。 あまりのことに狼狽して、周囲を見渡すと皆がそんな自分を眺めて、あざけ笑っているではないか、、、、。 恐怖にゆがむ顔は、次第に怒りの形相になり、あの見えない「力」を全面的に引き出してしまうことになってしまいます。すべてを悟った彼女は、会場の出入り口を強大な超能力で封じ、皆に復讐を開始します。彼女の意志によって自在に動き回る消防栓のホースからの水圧になぎ倒され、烈火に逃げまどう人々を閉じこめたまま、彼女は立ち去り、体育館は、焼け落ちてしまうのです。 このクライマックスは、スローモーションとマルチスクリーンで展開し、異様な緊迫感を観るものに与えます。映画大好き人間には、堪えられないシーンなのですが、ブライアン・デ・パルマ監督は、あのケビン・コスナー主演の「アンタッチャブル」においても、スローモーション・シーンを実に効果的に使っておりました。ギャング襲撃の巻添えで、赤ん坊を乗せたままの乳母車が階段からころがり落ちる場面がそれですが、これは歴史的傑作映画「戦艦ポチョムキン」のエピソードを再現したものです。 終局、家にたどり着いた彼女は、待ち受けていた母親を「処刑」し、自らもまた家ごと地中に葬り去ってしまうのでした。 そして、エンドマークが出る直前に、ホラー映画的なオチがあって、思わず悲鳴を上げてしまう観客がいたりなんかするワケですが、単なる娯楽映画と云う枠組を超えて、私にとっては、忘れられない映画のひとつとなりました。
・こだわりの映画人物学「キャリー」篇:
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映画館で映画を観なくなって、もう久しい。 やっぱり映画は映画館の暗闇で、目を凝らして観るのが正しい。 むかし観た思い出深い映画について、今のうちに書きとめておきたい。
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