格闘Linuxバトルロイヤル顛末記 |
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<始まり、、、> |
Linux、、、今、僕は、この文字をリナックスと呼ぶが、最初にこの文言に出会ったのはインターネットに目覚めた1995年春先だったと思う。雑誌の立ち読みを日課とする私には、パソコン雑誌からだろういつしかインプットされていたのだった。それから、少したったその年の秋、そう、Windows95の発売の直後のあの騒然たる宣伝攻勢にほだされて、やっぱりオレも!!ってことでアップグレード版のwin95を買って帰る途中、当時知り合ったばかりのネットワーカーとすれ違い、挨拶がてら「いやー買ってしまいましたwindows95、、。」と照れ笑いながら言ったところ、相手は、このバカ騒ぎにうんざりと云った風情で、「今からリニュックスをインストールするんですよ。」と言ったのだった、、、、、、。 Linuxなんて自分には縁の無い環境であると思い込んでいたので、いきなり、見知った人物から解き放たれたそれの語感にたじろぎつつ、なにか自分よりレベルの高い次元でパソコンに向かってるらしい人間が目前に存在することに軽い嫉妬を覚えたのだったが、しかし、世の中、Windows95一色なんである。ナチスドイツの宣伝相ゲッペルスもかくやのメディア総出の洗脳攻勢に、このわたくしめもしっかり染まってしまったのだ。でもでもWindows95をインストールしてから止めないドツボにはまり込んでしまったワタシ、、、、。現在でもWindowsマシンを活用するときには、なにかしらのもどかしさを禁じ得ない。それもこれも愛するMacをひとときないがしろにして悪魔に魂を売り渡してしまたからなのか、嗚呼、しばし思い出し反省。この悔恨の念が、今の私の原動力なのである。(???) なんだかワケ解らない支離滅裂な展開だぁ? んーーっと、そうLinuxなんですが、結局、私がLinuxのインストールCDを初めて手にしたのは、1998年の初め頃、そこらの町の本屋さんでも置いてあるようなパソコン雑誌の付録CD-ROMとしてフリーUNIXが添付されるようになってからでした、、、。 |
<Linux導入記 その1> |
・Red Hat Linux の場合(その1) 私が、いよいよPC-UNIXの導入に踏み切ったのは、今年(平成10年)の3月になってすぐのことです。 私の知り合いは、FreeBSDの導入に成功して盛んに地元のMLにてFreeBSDのことを喧伝していました。私は、ひねくれモンなので、他人がやったこととおなじことをやるのは、どうもダメでいけません。 それで私は、敬愛する北九州出身の「闘うプログラマ」中村正三郎氏のホームページ http://www.asahi-net.or.jp/~KI4S-NKMR/index.html の影響もあって、Linuxで行こうと決意しました。 そのHPで紹介されていた「この2冊があればなんとかなる」とのお言葉を信じて ・雑誌「Linux Japan」第6号と ・「Linux/FreeBSD日本語環境の構築と活用」(ソフトバンク刊) の2冊を、直ちに購入しました。 この2冊の添付CD−ROMで、Linuxのインストールと日本語環境の実現がなんとかなると思われました。書籍購入後、速攻で帰宅し、インストール準備に取りかかりました。 導入するマシンは、自作PC(DX4-100Mhz)で、HDは2つにパーティションを区切り、Win95との共用で行こうと考えました。HDの中が、ごちゃごちゃしていたので、再フォーマットしてwin95関連は、最小構成にしようとしたのですが、M$プラスのウルトラコンパクトで圧縮していたので、しかも手際が悪くて、再構築するのに時間がかかり、Linuxのインストールに着手できたのは、準備に着手して6時間以上経過していました。 ここで、マシンのスペックを確認しておきます。 ・CPU=DX4-100Mhz ・マザーボード=ASUS PVI-486SP3 ・メモリー40M(8+32) ・CD-ROMドライブ=サウンドブラスター16接続の松下製2倍速 (このCDドライブの接続の仕様がインストール時にとても重要になってきますので、しっかり把握する必 要があります。) ・ビデオカード=DIAMOND STEALTH PRO 2M(VLバス接続)
・ハードディスク:IDE接続の1.2G ・キーボード:106日本語キーボード ・マウス:PS2マウス なおこのマシンは、初代ノンペンティアムFMVが、Win95発売前に叩き売りされていたのを衝動買いしたのですが、トラブル続出で1年経過後にマザーボードと電源付きケースなどを購入(ビデオカードはNiftyの売ります買いますコーナーでゲットしました。)し、あとハードディスクも買い足して、残りはFMVの使えるところを全部流用して、自作した物です。FMV時代とは、見違えるように高速かつ安定的になりました。 さて、このマシンの1.2GのHDの中にどのようにLinuxを導入するかですが先に書いたように、HDのパーティションを2領域に区切ってWin95とLinuxの併用を試みる為に、思い切ってHDを再フォーマットしたのですが、久しぶりのDOSプロンプトでの操作であり、FDISKコマンドを使うのにかなり緊張しました。 この時、DOSの「起動ディスク」を事前に作成し、これからマシンを起動してDOSコマンドの操作となります。また、フォーマットした後にWin95をCD-ROMドライブからインストールしますのでこの起動ディスクで起動した時にCD-ROMドライブを認識しているかどうか念の為確認した方がよいでしょう。 とくに自作PCの場合、CD-ROMドライブのデバイスドライバが別途用意されていて起動ディスク内のconfig.sysファイルにドライバの記述をする必要がある場合があります。 GUI環境でのパソコン操作しか経験していないかたには、コマンドラインでの操作の段階で、かなりとまどうと思います。 パーティションは、win95に500M、Linuxに残りの700Mほど割り当てました。 で、先にwin95を最小構成でインストールし、アプリケーションも必要十分なもののみを導入しました。私の場合、もう一台TWOTOPのP200マシンがあるので、これとLANで繋いでおけば、500MのWin95マシンでも十分サブで利用出来ます。 しかし、ここにたどり着くのにいろいろ不手際もあり準備着手から6時間経過してしまいた、、、、、、。 さて、いよいよLinuxのインストール開始ですが、雑誌「Linux Japan」の手順どおりにやれば、なんとか開始後5時間経過くらいでインストール成功しました。(しかし、途中で10回くらいはつまづきましたが、、、、。) で、X−windowの立ち上げに成功したのが、午前4時ごろ、、、、 X-Window って、あまりにもWin95にデスクトップの構成が酷似してますが、どっちが先なんだろうか? (よく見ると個別ウィンドウのコントロールボタン配置は、MacOS8にも似てます、、、、。) ここで、もうたまらずダウン、寝床へ、、、。 で、午前8時起床、土曜日と云えども月末最終日、午前中は、集金&契約をこなし、午後から行政書士の勉強会、、、、午後6時前に帰宅して、すぐに日本語環境、PJEのインストールに挑戦しました。 これもなんとか成功したのですが、操作がわからず、まぁ、先にWin95の環境を整備しようとするかと、やり始めたのが地獄の始まりでした。 この2日間は、2台のPCと延べ30時間ぐらい格闘しておりました。 |
<Linux導入記 その2> |
・Red Hat Linux の場合(その2) さて、Linuxですが、読み方は「リナックス」と云うのが多数派だと思います。 私は、以前は知り合いの影響で「ライナックス」と読んでましたが、ユーザーグループのHPでの読みの音声ファイルを聴くと概ね「リナックス」の方が、より正確みたいです。 カッコ付けるかたは、「リニュックス」とか「リヌクス」とか言うみたいです。(音声ファイルでは、こう聞こえるが、平板な日本語発音だと「リナックス」でよろしいんではないでしょうか。) Linuxと一口に言っても、多数のパッケージが存在します。
それぞれインストールの方法とか、立ち上がったときの「表現」とかが微妙に異なります。また各マシンとのインストールの相性がそれぞれ異なりますので、同じマシンにRedHatがインスト出来たのにSlackwareがダメだったりとか、その逆とか、様々なケースに遭遇します。 しかし、Linuxと言うOSの最もコアな部分、カーネルと言いますがそのカーネルはいずれも共通の起源を持ちます。北欧の学生、Linus氏がAT&Tのライセンス(UNIXの大元)を一切使用せずに作ったUNIXと同一の機能を持つカーネルがその原点にあります。 つまりLinusさんが作ったUNIXが、Linuxと言うワケなのです。ソースコードは公開されしかも無償で、たちまちインターネットで結ばれた全世界の何千何万と言う極めて優秀な有志プログラマによって改良が加えられUNIXのアプリケーションが移植され、現在に至っており、更に発展進化しているのです。 カーネルがオープンソースコードであり、OSとして機能させる為にコマンドや設定ファイルを組み込んでいくようになっているので、メンテナンスが容易で、堅牢でコケないOSとして日々進化しているとも言えます。 これがWindowsになると、もうなんでもかんでもOSに取り込んで、OSが肥大化し、ハードウェアのスペックも過大な要求となり、ただでさえ屋上屋を重ねるがごとく根本的な改良もしないまま、対症療法の積み重ねのあげく数百万ラインとも言われるソースコードの化けモンに、当の開発者さえも本質的なバグフィックス不能となってしまったの言うのが正直なところでは、ないでしょうか。 海の向こうでは、Win98のインストールでマシンクラッシュ続出だそうで(詳しくはZDNet Japanのサイトに行ってみてください。)、でも日本のマスコミは取り上げないし、ましてはパソコン雑誌じゃ、Win98絶賛の記事が満載で、ついつい洗脳されてしまうんでしょうが、、、、。) さて、さて、今回は、雑誌「Linux Japan」第6号に添付されていたRedHatLinuxをインストールしたのですが、結果的に言って「Linux Japan」の記事の手順どおりにやれば、インストール出来ました。 しかし、途中で10回くらいはつまづきました。簡単に言うと、手順どおりブートディスクを作成し、それでマシンを立ち上げあとは、メニューに従って設定してゆきます。 しかし、すべて英語なので、とにかく雑誌に初心者向けに懇切丁寧にメニュー画面の写真付きで解説されている順番に、そろそろと突き進みます。 でもでも、やはりしくじったり間違えたりワケ解らなかったりして、10回以上やり直しては、はじめからトライを繰り返しました。まぁ、とにかくやってみるしかありません。 しかしこのLinux Japan」第6号には肝心なところに誤植があります。 19頁の左上段ですが、 # cd /mnt/cdrpm/RHL42/Updates は、あきらかに # cd /mnt/cdrom/RHL42/Updates の間違いです。 簡単なスペルミスなのですが、全くの初心者だと解らないかもしれません。 また、Linux(UNIX系はすべて)では、コマンドは大文字と小文字を区別しますので、正確に打ち込まなければなりません。 またマウントの概念とか、最も初期のDiskBASICを扱ったことがないかたには、雲をつかむようなことかも知れません。 しかし、新しい世界を知るには相応の苦しみが付き物です、ブレイクスルー、そしてトライ&エラーでやり抜きましょう。 今、振り返るに、最初のLinuxインストールで、合計10時間ほど掛かったものの、なんとかインストール成功したのは、多分に運が良かったと言うか、たまたまマシンとの相性が良かったと思われます。 1:まず、導入するマシンのCD−ROMドライブが何か? と言うことがポイントです。 前回書いたように、導入したマシンでは、CD−ROMドライブは、サウンドブラスター16接続という最も初期の仕様でしたが、DOS/Vでは、現在はIDE(ATAPI)接続がメインだと思われます。 おいおい解説していきますが、3番目にトライしたSlackwareLinuxでは、どうしてもSB16接続のCDを認識せず、失敗しました。 またIDEのドライブであってもドライブ自体の個体差の影響か不明ですが、もう一台のP200マシンには、TurboLinuxが導入出来ません。しかし、SlackwareLinuxはインスト成功しました。 |
<Linux導入記 その3> |
Linux導入記番外編 ちょいと書き足りなかったことなど、ちらはらと。 1:ひとつのハードディスクにWin95とLinuxを共存させた時のトラブル PC-UNIXでMacやWindowsみたいなグラフィカル・ユーザー・インターフェース(GUI)を実現する環境としてX-Window System がありますが、それを導入する際に、ビデオカードの設定やモニターの設定をするのですが、そのセットアップが完了してLinuxを立ち上げて終了させた後に、Windowsを立ち上げると、Win側がダダをこねていわゆるSafety-Modeで起動する時があります。 少なくとも私の場合は、そのケースに多く遭遇しました。その場合は、デスクトップのプロパティをオープンし(コントロールパネルから画面アイコンをクリックと同様)、ディスプレイの詳細で正しく設定し直して、再起動すれば直ります。(少なくとも私の場合は、、、、、) また、Safety-Modeで起動しなくても立ち上がり時にエラーと言うか「不正な云々で終了します」とかなんとか出てきてそれ以上一向に正常に立ち上がる気配のないまま、やむ無くリセット&再起動で正常に起動したりとかで、業務用のただ1台の貴重なパソコンにWinと共存させてPC-UNIXを導入する場合は、それなりのリスクを生じることは確かであるとここに明言しておきます。
2:導入前の下準備として重要な事 とりあえず導入するマシンのIRQやI/Oポートなどいわゆるリソースの概要について把握しておく必要があります。 その為に、win95を立ち上げた時に、コントロールパネルからシステムアイコンをクリック、そしてデバイスマネージャをオープンして印刷ボタンを押して、リソースをプリントアウトして大切に保管しておきます。PC-UNIXをインストールした後、各種の設定、つまりLANカードとかのセッテイングで役に立ちます。 勿論、Win95を再インストールした場合の、プラグアンドプレイに対応していない古いISAカードなんかのセットにも、とても重要です。
3:CD−ROMの認識 PC-UNIXのインストールで最初に、つまずくとすればここです。自分のCD−ROMの種類を把握して、インストールマニュアルをチェックしておきます。
4:ビデオカードの問題 PC-UNIXには、今まで体験したことのないような素晴らしいGUI環境のデスクトップが幾種類もあります。(これをウィンドウマネージャと言います。) とりわけTauboLinuxで標準のAfterStepと言うウィンドウマネージャは、あっと驚くカッコ良さです。MacとWindowsしか知らなかった私は、新鮮なカルチャーショックに打たれました。UNIXってカッコいい!! 素晴らしい新世界が開けてきた瞬間でもありました。 しかしであります。このGUI環境を実現するステップとして先に書いたX-Windowの導入があるのですが、これが、まだ新しいビデオカードに対応していないのです。 PC-UNIXが、少しばかり前の、枯れたマシンと相性が良いと言われる所以は、このあたりにあると考えます。
教訓1:
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<Linux導入記 その4> |
私は、ただのPC-UNIXインストールオタクに過ぎなかった、、、、。 今回、Linuxのことを書こうなどと言う身の程知らずを自らに課すと言うか、言い出したからには、書き続けなければならないのかなぁ、とつい逃避したくなるいつもの飽きっぽい性格な私ではありますが、いざ、数ヶ月前の経験を書こうとするに、RedHatLinuxとか、TurboLinux、SlackwareLinux、それにFreeBSDをも2台のPCにとっかえひっかえインストールしていた体験がごちゃごちゃに入り交じって、自分でもワケ解らないと言うか、喉元過ぎれば熱さを忘れるとでも言いましょうか、苦労したことごとくのディテールがいまいちおぼろげで、正確に、もはや思い出せない、、、。で、思い切ってRedHatLinuxのインストールをやり直しました。 HDのパーティション区分は、そのままなので、以前に作っておいたインストール用のブートディスクを取り出し、PCのFDドライブに挿入して電源オンしてインストール開始。 私の自作PCは、RedhatLinuxと非常に相性が良いので、問題なくスムーズにインストールは進行します。 途中、コンソール(プロンプトモード)でコマンドの入力がありますが、まだ日本語106キーボードを認識していないので、とまどうケースが出てきます。 まず、数字の入力ですが、デフォルトだとテンキー入力が出来ないので、慌てずにNumLockキーを押してLCDが点灯すればテンキーが使えます。 あと、* の入力は、Shift+上段の数字キーの8(8と「ゆ」とかの刻印があるキー)で大丈夫です。日本語106キーボードのセットは後述します。 で、導入記事の手順通りに進行して、まずは、Linuxの基本が導入出来ました。 実際立ち上がるかどうか、ブートディスクを抜いてマシンを再起動させます。 まずは、通常の電源オンの状況で第2段階目に進んだ時に、LILO boot: と要求してきますので、マニュアル通りの設定だと、ここでlinuxと打ち込めば、いよいよLinuxが立ち上がります。 ずらずらーーっと、なんだかワケのわからない文言が、矢のように流れていきます。 けっこう重要なマシンやインストール環境のことがらが記述されているので、慣れてきたらじっと注視してチェックします。 途中で止まったりしたり時間がかかるようだとその部分に問題があるかもしれません。 で、おおっ!! localhost login: と表示されて、カーソルがチカチカ点滅し、なにやら入力を促しております。 で、とりあえず最初は、このPCの管理者(スーパーユーザー)としてログインします。つまり、rootと入力し、Password:に対してインストール時に設定したPWを入力、するとプロンプトモードになります。DOSの画面のようで、すこし違います。この画面をコンソールといい、Linuxの基本形でもあります。 ためしに ls と打ち込んで見ます。または、dir でも大丈夫。 なにやら得体のしれないファイル名が表示されます。 Linuxは、複数の使用者を想定した環境なので、自分の仕事が終わったら次に使う人のために、ログアウトします。 # logout で、元のログインモードになります。 次にLinuxを終了させてみます。 OSの終了は、スーパーユーザー(su)だけに与えられた特権なので、rootで入り直し、プロンプトから # shutdown -ht0 now を実行し、system halted と言う表示になれば電源オフできます。 inuxもMacやWin同様、仕事が終わったからと言っていきなり電源を切って終了は出来ません。所定の終了プロセスを通過しないといけません。 次は、いよいよGUI環境、X-Windowの導入です。 |
<Linux導入記 その5> |
1:X-Window(XFree86)のセッティング X-Window(PC-UNIXではXFree86と言う)の設定なんですが、ビデオカードやらモニターやら、あと大事なのがマウスの設定、、、私の場合PS2の2ボタンマウスですが、これをUNIXスタイルの3ボタンマウスとしてエミュレートするための設定などなど、1発目でキメることは、なかなか大変なのではないでしょうか。 RedhatLinuxやTurboLinuxでのメニュー形式の方法(Xconfigurator)や、FreeBSD等のコンソール画面での設定(xf86config)よりも、私は、XF86Setupの利用を推薦します。 使用方法は、Linuxが起動したら、とりあえずroot( su:全能の神スーパーユーザー、やりすぎるとマシンを不調にしてしまう、、、。)でログインしてのプロンプトモード、 ようするにコンソール画面にて、XF86Setup と入力するだけです。 マウスの設定は勿論ですが、ビデオカードとモニターの解像度の調整を繰り返し、やり直しながら適正値に持っていくのに、私の場合、コレが重宝しました。 XFree86すなわちX-Windowの立ち上げは、プロンプトモードから、# startx と入力します。 TurboLinuxの場合は、コンソール画面無しに、いきなりX-WindowのGUI環境が立ち上がるのですが、これはLinuxの世界では極めて例外的なケースです。 で、こんな画面になります。 どこかで見たことあるでしょ。これは、fvwm95と言うウィンドウマネージャで、Win95を真似たものです。 RedHatLinuxの場合、画面右にある地味なアイコン集団というかランチャーが見えますが、これで、インターネット接続とか、アプリケーションの導入とか、ユーザーの設定とかがGUI環境で、簡単にセッティング出来ます。これが、他のPC-UNIX(SlackwareLinuxやFreeBSD)には無いRedHatの利点です。 TurboLinuxも、いささかアイコンの表現は異なりますが、実際は、全く同一の操作方法で可能です。
2:日本語環境の導入 今回は、「Linux/FreeBSD日本語環境の構築と活用」(ソフトバンク刊)を使用して、PJEと言うPC-UNIXの日本語環境をパッケージしたものをインストールします。 初めてのかたがインストールの際にとまどうのは、CD-ROMのマウントの方法でしょう。 今回の場合は、コンソール画面では、こういう手順です。まず、上記書籍添付のCDをドライブに入れます。 # mount -rt iso9660 /dev/cdrom /mnt/cdrom でマウント(PCが認識) # cd /mnt/cdrom でディレクトリ移動 cdとは、MSDOSでもおなじみのチェンジディレクトリでありますが、そのルーツは、こちらのご先祖、UNIXであります。 試しにどんなファイルが存在するのか確かめてみます。 # ls とやると、 PJE-0.1 Wnn6 chap7 dp_note TRANS.TBL chap4 doc tool と出てきます。すこしづつお目当てのディレクトリに移動してゆきます。 更に、 # cd PJE-0.1 とやりlsを取って確認して、# cd rpm 、で同じ手順を繰り返しながら最後に # cd install で目的地に到達です。 まぁ、最初から階層の状況が把握出来ていたなら、cdromに移動したら# cd PJE-0.1/rpm/install でも良かったワケですが、、、、、。 で、# sh ./jeinst.sh と入力して、後は、雑誌の手順どおりにやります。 Linuxの日本語入力のメソッドとしてはいろいろあるのですが、NECが開発したフリーの「CANNA」と言うのを使いたかったので、canbase.lst を選択しました。 で、これもなんとか正常にインストールできました。しかし、これだけでは、日本語は、まだ使えないのです。
3:日本語キーボードの設定 まだUSキーボードの設定のままなので、入力の不便を解消するために、まず、日本語キーボード(106キーボード)を認識させます。 手順としては、 A:j106-d.mapと言うファイルを/usr/lib/kbd/keytables に置く。 B:/etc/sysconfig/keyboard の内容を KEYTABLE="/usr/lib/kbd/keytables/j106-d.map" と書き換える。 C:以上で、再起動すると日本語106キーボードが使える。 と、簡単なのですが、コレが初心者には実に難題です。 A:は、PJEをインストールすると自動的に所定の場所に既に存在しています。 難題は、B:ですが、モノの本には、絶対に書いていない私独自のやり方は、こうです。(Mac使いならではのやり方です。) a:まず、X-Windowを立ち上げます。 b:他のアプリの窓が使っていない領域にポインタを置きマウスの左ボタンをクリック (あるいは、画面左下のStartボタンをクリック) c:Utilities から Xfm を選択 d:File Manager が起動(こんな画面です。) e:最初は、/rootなので、一番左のフォルダをクリックしてオープン f:etcフォルダをクリック、以下同様にして/etc/sysconfigまで行く。 g:おおっ!!そこには keyboardなるファイルが存在するではないか!! h:keyboardファイルをクリックすると、エディタ(emacs)が起動しkeyboardファイルの中身 が表示される。 i:KEYTABLE="/usr/lib/kbd/keytables/us.map" を KEYTABLE="/usr/lib/kbd/keytables/j106-d.map" と書き換える。 j:Ctliキーを押しながらxキーを押す(C-x と表現)、更に続けてC-s (Ctliキーを押しながらsキー)で保存する。 k:エディタ(Emacs)のメニューバーの Files から Exit Emacs で終了。 以上で完了、コンソールに戻り、# reboot でPC再起動更にLinux起動。 だらだらと流れる文字を追っていると確かにj106-d.mapの形跡が、、、、、。
4:日本語入力の実現 さて、いよいよ、日本語入力です。 日本語環境PJEを導入した際に、Muleと言う、先に一度使用したEmacsというエディタをベースにした日本語に対応するエディタが導入されています。 このMuleで日本語を使えるようにします。 この手順は、 A:ホームディレクトリに .emacs ファイルを作成する。 B:emacs ファイルに (canna) と、ただ一言、記述する。 簡単ですね。しかし、タコ(Linux初心者のことをこの世界では、こう表現する。)にはつらい。(私もまだタコです。) まず、ホームディレクトリとは、rootでログインした場合、/rootのことを言います。 一般ユーザーを設定した場合は、それぞれのホームディレクトリが、ホームディレクトリとなります。ちょっとワケわかりませんが、UNIXについて一言で表現するならば だと思います。つまりそーゆうことです。(すんません言葉足らずで、、、、。) で、実際、こうやりました。 ファイルマネージャXmfを起動すると、そこはいきなり/rootです。 なんだかファイルが少ないですね。で、メニューバーの View からShow Hidden filesにチエック。ぞろぞろファイルが見えてきます。でも .emacs が見あたらなければ、メニューバーの File から New をクリック、次にファイル名を .emacs と入力するとファイルが作られます。 出来た.emacsファイルをクリックするとEmacsが立ち上がるので、まだ空ファイルの.emacsファイルに(canna)とだけ記述してセーブします。 で、また、システムをリブートして、Linuxを再起動してみます。 で、X-windowを立ち上げ、Muleを起動します。つまりX-windowの環境にいつもぽっかり空いたコンソールな窓のターミナル、通常はxtermですが、そこのプロンプトにmuleと打ち込むだけです。 でMuleが立ち上がりますが、全然、英語のままです。日本語入力が可能になるには、日本語入力モードへ移行しなければなりません。 で、Ctrlキー&o( C-oと表現する。小文字のオー o です。)を押します。 下のほうに[あ]と表示されると大丈夫。テキスト画面で、じゃんじゃん日本語の練習をしましょう。 デフォルトで、ローマ字変換になっています。私は、いつもコレなので他の設定は、必要ないので試してません。ちょっとクセがあるけど、非常に高速な変換です。 実用アプリが増えると、いいなぁと思ったりなんかするけど、それはアンチM$の立場が反映された昔風に言うなら「根の暗い」情念みたいな部分があったりするワケですが、通常は、エディタが普通に使えて、インターネットが出来るならそれ以上の事は、もういらない!と考えたりもしますが、、、、。
5:ネットスケープのインストール RedHatLinuxの場合、X-WindowからランチャーのPackage Management をクリックしたら glint と言うインストール・ツールが立ち上がりますので、これを利用します。 まず、導入する netscape communicator 4.04 のCD-ROMをマウントしますが、このマウントも、ランチャーの File System Configuration を使うと簡単です。 で、Package Management(glint)のconfigureボタンをクリックして、Package path:で/mnt/cdrom/Metscape/RPMS と入力しokボタン。次にAvailableボタンをクリックで、Available Packagesに X11のフォルダが現れるのでそれをクリック、ApplecationsフォルダからNetworkingフォルダに入るとやっとnetscape-communicatorとnavigatorのプレゼントボックス状のアイコンが出てきます。 communicatorを選択して、Installボタンを押せばインストールが始まります。 このように、RedHatLinuxおよびその日本語版であるTurboLinuxでは、アプリケーションがRPM形式のファイルで提供されているなら、とても簡単にインストールすることが出来ます。 さあ、モデムもあるしネスケもインスト完了、テキストエディタで日本語入力も出来る。となれば、いよいよインターネット接続であります。 |
<Linux導入記 その6> |
6:インターネット接続 設定編 Linuxの場合、インターネット接続(ppp接続)とLAN構築は、密接な関係にありますが、とりあえずここでは、インターネット接続に的を絞って説明します。 この設定もランチャーの Modem Configuratoin と Network Configuration を使ってGUI環境で、簡単にセット可能です。 まず、Modem Configuratoinで導入PCのモデムの接続ポートを指定します。 (前もって確認しておかなければなりません。) 私の場合、外付け33.6kbpsモデムで、COM1接続なので、それを指定します。 次は、いよいよPPPの設定です。 A:Network Configurationボタンをクリックして立ち上げます。 B:Interfaces ボタンを押します。 現存するlo、つまりローカルホストは、そのままにして置きます。 C:Addボタンで Choose Interface Type の設定。 PPP にチェックを入れて OK をクリック。 Create PPP Interface の設定では、 Phone Number に接続先プロバイダの電話番号を記入。 Use PAP authentication にとりあえずチェック。 他は、未記入です。 Done で、新しく ppp0 が作られます。 こんな具合です。 上段近くに見える Hostname: と Domain: は、LAN構築の時のマシン固有の設定です。インターネットの設定ではないので、インターネットのドメインとかを記入しないでください。 D:ppp0 を選択して下段のEditボタンを押して、
E:Namesボタンで、Namesservers:の欄に、接続先のネームサーバアドレスを記入します。 私の場合Asahi-Netなので、202.224.32.1と 202.224.32.2 と記入します。 こんな具合です。 F:Hostsボタン先には、何も記入しません。localhost は、そのままです。 G:Interfacesボタン先で、Addボタンを押し、pppをチェックしてOK。
H:Routingではなんにも記入しません。
以上で、PPP接続の設定は、終了しました。 なぜそうなのかと言う奥深い理屈について、うまく説明出来ない部分が多いので、経験則的、あるいはサーチエンジンで検索して得た情報を見よう見真似で試して、とりあえず成功した事例としてとらえてください。 さて、うまく行くでしょうか?
7:インターネット接続 実践編 インターネット接続の手順ですが、これもランチャーの Network Comfiguration で開始します。 A: Network Comfigurationのアイコンをクリック。 B:Interfacesボタンをクリック。 C:ppp0を選択。 D:Activateボタンをクリック。 E:モデムが立ち上がりプロバイダにダイアル。 F:接続成功。
G:使い慣れたネスケで、WWW巡り!! H:試しに、広島の行政書士Iさんの東広島支部のHPに行ってみました。 I:接続終了は、Network Comfiguration で Deactivate ボタンをクリックして、 モデムのLEDを確認してOKです。
8:日本語メールの送受信 さて、インターネットも繋がり、Linuxでも普通にネットサーフィンが出来るようになったけど、やはりインターネットでは、電子メールの送受信が出来なければハナシにならないので使用メーラーとしては、とりあえずインストールしたネットスケープ・コミュニケータの Messenger を使えば、ベリサインのIDの取得にもなにかと便利だし、、とゆーことで、メール送受信の設定をやりましょう。 Linux版のNetscape communicator4.04の仕組みは、日本語版のそれと同一なので、英語を全部理解出来なくても、日本語版と照合しながらやれば大丈夫、、、、なハズ、、、、、。 が、しかし、、、、、。 Prefereces(設定)のMail & Groups の下、MailServerのところで、どうもうまく行きません。 SMTPサーバとPOPサーバの欄に、日本語版と同様にの設定をするのですが(すなわち、asahi-netの場合、それぞれ mail.asahi-net.or.jp と pop.asahi-net.or.jp と入力)、OKボタンを押すと、Warning で Mail host"mail.asahi-net.or.jp"is unknown と蹴られます。 なんか、基本的な事で、間違えているのかなぁ、、、、、。 |
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